gloomy and/or hopeful monologue

3月 6, 2007

メメント・モリ

Filed under: Uncategorized — Sato Atsushi @ 5:46 pm

二十歳前後のころ、死についてばかり考えていた。
四十を過ぎ、厄年を超え、また死について考える。が、それはまた別の話。

finalventの日記 – 池田晶子、死去

思索者は生きて、老いて、見るべきものを見果つ、という生き方が「道」として残されている。それは単純にいえば、希望でもある。

 

⇒江藤淳とは – はてなダイアリー

1999年自殺により死去。遺書は名文であった。

 

心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳

 

名文ではないよとまでは言わない。江頭淳夫として死ねなかったことも問わない。彼が抱えていた女の問題についても問わない。ただ、私は、これを諒としない。

広告

1件のコメント »

  1. はじめまして。

    池田晶子さんが逝去されたことを御ブログで初めて知りました。

    『死と生きる—獄中哲学対話』を読んで以来、彼女の著作物を読むようになりました。外見も美しい人であり、天は二物を与えた人でしたが、早すぎる死に悲しみを禁じ得ません。

    コメント by Megumi Kikuraku 菊楽 恵 — 3月 7, 2007 @ 12:59 am


RSS feed for comments on this post. TrackBack URI

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

WordPress.com Blog.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。