gloomy and/or hopeful monologue

2月 26, 2007

[Life] 奇妙な開放感

Filed under: Uncategorized — Sato Atsushi @ 1:59 pm

親族の死、それにともなう奇妙な開放感。人として必ず出会うはずの情感を共有するメディアは何か?

極東ブログ: 日本版ニューズウィークのコラムで思ったことなど

ニューズウィークには時折まったくの素人というかあるいはローカル新聞くらいのコラムニストが書いた、なにげない一ページもののコラムが掲載される。日本版の創刊頃から読み続けた読者である私は、その手のコラムがなんとなく心に残る。そんななかで最近三つほど心に残るコラムがあった。記憶によるのであまり正確ではないのだろうけど簡単に。
 

一つめは、身体障害者の親族の思いというものだ。重症で長年看病した親族がいざ死なれてみるとほっとしたという感想だった。看病から解放されて自由になって単純によかったというのではない。ただ、そういう奇妙な解放の思いに向き合った話だった。こうした情感というのは、人間を五十年もやっていると誰でも遭遇するし、少なからずは親というものがそういう存在になる。そしていろいろと思うものだ。が、ブログも含めて公開的な場所でそういう情感が語れることは少ない。逆にブログなどではより語れない領域になりつつあるのかもしれない。「これはひどい」とかブックマークされたりすると想定されれば増田とかに書くしかない(参照)。と考えながら、そうした微妙な情感は以前は小説などで語られていたものだろうか。小説というのは時代のメディアとしての意味もあったのだろうかとついでに少し考えたが、現代の小説ではどうなのかよくわからない。いずれにしても愛していた人でも死なれてみたら悲しくても解放されたような情感がある、というものは人の世とともにありつづけるだろう。

広告

コメントする »

まだコメントはありません。

RSS feed for comments on this post. TrackBack URI

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

WordPress.com で無料サイトやブログを作成.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。