gloomy and/or hopeful monologue

8月 3, 2006

[訃報] 鶴見和子 享年88歳 (7/31)

Filed under: Uncategorized — Sato Atsushi @ 11:42 am

鶴見和子 – Wikipedia
京都新聞電子版

知への純粋さ貫く
鶴見和子さんを京でも悼む声

 

亡くなった社会学者の鶴見和子さんは知への純粋さを貫く一方、9年前から京都に住み、日本舞踊やきものなど伝統文化への造詣の深さも見せた。晩年は文化人らとの交流を通して京都との関係を深めていただけに、ゆかりの学者や芸能関係者から悼む声が相次いだ。

 1995年暮れに脳出血で左半身不随となった和子さんは、弟の鶴見俊輔さんが京都市に住んでいたことから、東京から宇治市の老人ホームに転居した。リハビリに努める一方で、蔵書を京都文教大(宇治市)に寄贈したり、関西文化学術研究都市で講演するなど晩年、京都とのかかわりを深めた。

 交流のあった文化庁長官の河合隼雄さんは「知名度の低かった南方熊楠の思想を『南方マンダラ』と呼ばれる図面を通じて紹介、世界に通じる人物として光をあてた功績は大きい。脳出血で倒れた後も短歌を再び作り始めるなど自身の世界を広げ、ハンディのある高齢者の生き方を身をもって示した。学会などで出会うたびに頭のよさに感心させられた。純粋で温かな人だった」と述べた。

 JT生命誌研究館長の中村桂子さんは「地域の生活と伝統に根差して発展の筋道をつくり出す『内発的発展論』は、生物を等価に見る私の『自己創出』の考え方と共通するものがあり、意気投合した。非常に好奇心が強い方で学問的姿勢に感銘した。脳出血後も活動は衰えず、不死鳥のような方と思っていただけに、信じられない」と残念がった。
 舞踊公演を通して親交があった日本舞踊家西川千麗さんは「『あなたの仕事は、言葉を超えたコミュニケーションよ。どんな国にも推薦するから』と、いつも勇気づけてくださった。俗世の知恵と関係なく、純粋に突っ込んでこられる方。あのきれいな高い声ではっきり意見を言ってくださり心から信頼できた。人生の指針となる大きな存在を失い、今はつらい」と声を振り絞った。

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